身軽でバカで高IQ
例によって頭の整理の為の記事。
「群像の感覚」から続く気がする。
自分はMensa会員で高IQ。
これにしばらく驕っていた。自分の言う事がわからない奴は馬鹿で、馬鹿の言う事なんか聞く必要が無い、とメンサ入りたての頃本気で考えてしまった。
時期的に自分の社会的地位がポンと向上してしまったのもそれに拍車をかけた形だ。
昔からの友人達を凡人と見下したりなんかも、ほんとに正直なところしてしまっていた。どう繕っても調子に乗っていたとしか言えない。
そもそも高IQ=頭がいいという訳ではないし、
仮に自分が他人より頭が良かったとしても、それを発揮させる事には「群像」の中では長短がある。
諸々を端折って、かつ誤解を恐れずに言えば群れの中では頭がいい(と主張する)奴≒めんどくさい奴なのだ。
例えばの話、常に理屈を振りかざす奴はそれだけで周りが歪むというか火種になるというかとにかく争いに巻き込まれやすくなる。
冒頭で書いた自分様みたいに、頭良い自分に酔って周りみんな見下している人間も結構居る。
そして何より「自分より賢い」は心をザワつかせる。高身長とか目じゃない位のなんつーか、どうにもならない感じというか暴力的な感じというか。
かなり上手くやらないと目上(と時には周囲)の人間から攻撃を受ける事は多い。
諸々の結果、どんどん端っこの日の当たらない所に追いやられる(追いやられた)。
ここでやっとタイトル回収するのだが、群像の中では身軽なバカの方が登用機会が多いと思うのだ。
まあ大体分かるかもしれないが書き疲れて来たのでまた次回書く。
誰かに影響を与える
いつもの様に、頭の中でまとまる前に書きます。
自分は誰かに影響を与えたくない。また、誰からも影響を受けたくないと思って生きてきた。
もちろんそんな事は不可能だという事は分かっている。基本的なスタンスとしての話だ。
しかし、それではあまりにも生き方として無責任。というかもったいない!!!
このままだと自分1人で到達できるところにしかいけないのだ。あんまり面白いものじゃないだろう。もっと人から盗んだり教えてもらったりしよう。
そっちの方がよっぽど楽しい人生!
セトウツミ
友人に「お前らの高校時代に似てる」と言われたので見てきた。
面白かった。ほとんど場面転換もなく河原で高校生ふたりがだべってるだけの75分だが間と言葉のチョイスと古典的キャラ付けだけでエンタメしてた。自分はこういう作品にとても弱い。
映画館を出て車のキーをかけ、クーラーが効き始める前には既に原作全5巻をポチっていた。
ほんの少しでも人気が出ればいくらでも続編が作れそうな雰囲気なのでどんどんみんなに見て欲しい。特に腐った界隈に早めに見つかって欲しい(購買力あるから)。
観客は20人も居なかったが笑いは沢山起こっていた。
あんなにイケメンで間がうまかったらこんな泥んこな人生送ってないわクソがと冒頭の友人に言ってやりたい。
群像の中の自分
林先生の初耳学でこんな様なキーワードが出てきた。
「群像の感覚を持つ」
客観的に自分が集団の中でどのあたりに居るのか、またどの様な役割を果たせるのかを把握する事が実社会で大事だと言う事らしい。
確かに自分本位は相手との衝突を生む。正しい正しくないの論争ではなくなってしまう。社会に出てから何度も何度も経験した。
1人でいる時以外はこれ意識してもいいなと思った。
群像の感覚、覚えておこう。
目標達成に向けて
自分にできることをひとつずつやっていこう
できた時の達成感を思い浮かべて
行動しない場合とした場合の結果の違いを想像して
日常生活でかかるストレスをなるべく減らしていこう
と自分が5年前に書いた文章をコピペする。
物事の綺麗なとこだけ掬おうとすると
どうしても窮屈になる。凹んでたり行動的でない自分を容認出来なくなる。自分は笑いの為なら肥溜めに飛び込める人間になろうと思う。