日記のようななにか

なにか書いたり書かなかったり

人生はゲームだと言ったな

すまんな、ありゃ嘘だ。

まあ嘘というかよりよい考え方があるなという事ですよ。人生は"無"です。

どこがいい考えだよって言いたくなる話ですがニーチェ的な人生は既に決まってるから何やっても無駄とかそういうんじゃなくて、本来無だった、という話です。僕結構、人類が宇宙と呼んでいるものは泡沫の一つに過ぎないって説が好きなんですよ。宇宙の周りには無があって無の中に無数の宇宙が包括されているって話の事です。要するに僕らが住んでるだだっ広い宇宙は無数にある泡の一つにしか過ぎないっていうアレです。

これを信じるなら僕らの宇宙は今存在している事の方が奇跡的な揺らぎみたいなもので、どっかのタイミングでふっと消えてしまう事もあり得そうじゃないですか。

そう考えたら、今自分が意識持って考えてこうやって文章書いて飯食って本読んで風呂入って寝てっていう一つ一つの行動に有り難みが出てくるなっつー、そういう事です。

宇宙の周りに無が広がってるに違いない!っつってんじゃなくてそう考えた方がより日常がきらきらして見えるなーって思うよって事です。

どうせ宇宙の端っこがどうなってるかなんて確かめようがないから自分の都合いいように考えたらいいんちゃうかな、と。ほとんどの宗教は完璧ぼくのかんがえたさいきょうのうちゅうのしんりですからね。自分で考えたやつの方が自分には優先です。

概ね書きたい事は書きましたがこの記事で元々少なかった読者を更に減らした自信がありますね。

あつれきを生むあくへき

西尾維新のサブタイトルみたいな始まり方ですが、結構めんどくさい価値観だなーって人結構いますよね。他人のミスに対しての執着がすごいなあって思う人。そういう人が周りに居ると息苦しくて嫌だな〜って思うんですよ。

でも日本を強国にしたのも多分この文化なんだよね。
1人だと徐々に緩まって薄まっていく意思を、みんなで監視しながら保ち続けるというプラスの側面もあるんだなって事に今日ようやく考えが至りました。

他人に言わない目標は、どんどん強度が落ちていくんですよ。もうそれは必然で、しかも自分があんまり気づかないくらい緩やかに落ちていくんですよ。

「今日はいいや」が日常になるというか、抜け道をなんとか探す様になるというか。

だから監視社会に自分の目標を監視してもらえばいい。

人様の見える所にずっと目標を置いておいて精度を落とさない様にするんです。

ストレスが強すぎたら見せる頻度と人を限定したり、そうやってある程度他人に自分の目標をコントロールしてもらえばいい。

ってのを思いついたので実践してみます。

アドラー心理学を読んだ感想

自分の至らなさを只々実感。

人間には

・社会(家族、友人、地域)

・仕事

・恋愛

の3つの大きな柱があるって話だったけど、どれもこれも僕はまるで無視してたなあ、と。

特に恋愛に関しては全くと言っていいほど何もしていなかった。

だけど、そこに関わるのはとっても人生に潤いをもたらすんやなと。

とりあえず一歩進んで良かった

いやまあはい

ゲーム脳って怖いよね。

急にキレたり選択肢がないと行動できなかったり、あと団塊の世代に目の敵にされたり、エセ科学の権化みたいな扱いにされたり。
まあ後半色々ごちゃまぜだったけどとにかく僕が思うにこの世はゲームなんだなぁと。
現実とゲームの区別なんて付ける必要がない。
地球っていうくそでっかいサーバーで肉体をアバターとして操作してるプレイヤーがぼくなんですよ。みんなそう。
だから神様はイコール運営会社って事になるよ。すげー腕がいいから原子ごとの電子の数まできっちり設定してる。原子の組み合わせで水もコンクリートも飛行機も、なんだって作れちゃうように設定されてる。
もうほんと地球は文字通りの神ゲーなんだよなぁと。
目的が見つからなくて悩んでる人って結構いると思うけど、目的なんてなくていい。無いからいい。自由に散策してれば楽しい様に出来てる。
とにかくこの世の中はただイベントが起き続けてるだけで自分の解釈とかノリでどうとでも取れる。
お金ガチ勢になるのも楽しいと思うけど、自分が納得して楽しめればそれでいいな、とも思う。仲間と協力プレーもまた楽しいけどね。

垂れ流し

偉そうな看板をいくつも掲げてる割にメンタリティは思春期のクソガキ以下ですぐへそ曲げたりコロコロ言ってる事が変わったりするのをなんとかしないとなんともならなくなって来た。こういう時はなるべき様になるものだろう。
さっさとティッピングポイントを超えましょう。
僕は基本的にドブ色の心を持っていますがドブにはあらゆるものが流れてる訳で場合によっては虹色に見えたりする訳でそして何より浄化する事ができる訳で富良野は寒い訳でお前にわかってもらいたい訳で。ドブネズミみたいになんたらかんたら。
ラッドウィンプスっていい曲多いけどカラオケで歌うとストレート過ぎて恥ずかしくなる訳で。
ブルーハーツもストレートだけどこっちは気持ちいいが勝つ感じ。ブルーハーツの歌詞は男らしいからだろうという薄っぺらいジェンダー論を迂闊にも口にする自分の浅ましさがそんなに嫌いになれないのが自分の一番の欠点だろう。
いつも考えてる事が本当に曖昧モコモコしてて結局どこにもたどり着けずなんかちょっとハイになって終点を迎えるのが宜しくない。どころか回送電車になってもそれがまるでウィニングラン日本シリーズ優勝凱旋カーかの様になんとなくの独りよがりな思考の勝利に酔いしれてしがみ付いている日々。
訳の分からない文章は自分の得意分野だけどこれが少しでも人の目に触れ、あまつさえ好意的に解釈されようものなら途端に申し訳なくなる。こんな木っ端の切れ端をさらに108つに細分化させた様な出口のないウロボロスの糞にいいも糞もないなと思う。
なのでこうやって湧いてくる言葉は定期的に見える様に人様の側に置いて供養してあげる事が必要かなと思う。自分がうまく扱ってやれなかったばかりに日の目をみる事がなかった言葉や思考達に感謝してまた0から構築しなおしていく。
その繰り返しで螺旋の様に進んで行こう。
と、またちょっとハイになって文章を終える。