人生はゲームだと言ったな
すまんな、ありゃ嘘だ。
まあ嘘というかよりよい考え方があるなという事ですよ。人生は"無"です。
どこがいい考えだよって言いたくなる話ですがニーチェ的な人生は既に決まってるから何やっても無駄とかそういうんじゃなくて、本来無だった、という話です。僕結構、人類が宇宙と呼んでいるものは泡沫の一つに過ぎないって説が好きなんですよ。宇宙の周りには無があって無の中に無数の宇宙が包括されているって話の事です。要するに僕らが住んでるだだっ広い宇宙は無数にある泡の一つにしか過ぎないっていうアレです。
これを信じるなら僕らの宇宙は今存在している事の方が奇跡的な揺らぎみたいなもので、どっかのタイミングでふっと消えてしまう事もあり得そうじゃないですか。
そう考えたら、今自分が意識持って考えてこうやって文章書いて飯食って本読んで風呂入って寝てっていう一つ一つの行動に有り難みが出てくるなっつー、そういう事です。
宇宙の周りに無が広がってるに違いない!っつってんじゃなくてそう考えた方がより日常がきらきらして見えるなーって思うよって事です。
どうせ宇宙の端っこがどうなってるかなんて確かめようがないから自分の都合いいように考えたらいいんちゃうかな、と。ほとんどの宗教は完璧ぼくのかんがえたさいきょうのうちゅうのしんりですからね。自分で考えたやつの方が自分には優先です。
概ね書きたい事は書きましたがこの記事で元々少なかった読者を更に減らした自信がありますね。
少年B
今が正念場かなあと思う。
あと10週間、ちゃんと成果を残す事が出来れば道がぐんと広がるだろう。
頑張ろう。
あつれきを生むあくへき
西尾維新のサブタイトルみたいな始まり方ですが、結構めんどくさい価値観だなーって人結構いますよね。他人のミスに対しての執着がすごいなあって思う人。そういう人が周りに居ると息苦しくて嫌だな〜って思うんですよ。
でも日本を強国にしたのも多分この文化なんだよね。
1人だと徐々に緩まって薄まっていく意思を、みんなで監視しながら保ち続けるというプラスの側面もあるんだなって事に今日ようやく考えが至りました。
他人に言わない目標は、どんどん強度が落ちていくんですよ。もうそれは必然で、しかも自分があんまり気づかないくらい緩やかに落ちていくんですよ。
「今日はいいや」が日常になるというか、抜け道をなんとか探す様になるというか。
だから監視社会に自分の目標を監視してもらえばいい。
人様の見える所にずっと目標を置いておいて精度を落とさない様にするんです。
ストレスが強すぎたら見せる頻度と人を限定したり、そうやってある程度他人に自分の目標をコントロールしてもらえばいい。
ってのを思いついたので実践してみます。
アドラー心理学を読んだ感想
自分の至らなさを只々実感。
人間には
・社会(家族、友人、地域)
・仕事
・恋愛
の3つの大きな柱があるって話だったけど、どれもこれも僕はまるで無視してたなあ、と。
特に恋愛に関しては全くと言っていいほど何もしていなかった。
だけど、そこに関わるのはとっても人生に潤いをもたらすんやなと。
とりあえず一歩進んで良かった
いやまあはい
ゲーム脳って怖いよね。